肯定的自虐論

私は「局アナをクビになった」。

既に「自虐のはじまりだな」と思う人もいるだろうが、これは「事実だ」。

この記事を最後まで読んで下さった方が、私の定義する「自虐」は「なるほど、ポジティブな意味も含んでいるんだな」と思って頂ければ幸いだ。

テレビ大阪時代、2017年12月末に就業規則違反(社内の迷惑行為)により「キャスター降板」となった(当時、月曜~金曜の夕方ニュース番組に出演していた)。

正確には正式処分が出る前に何者かが関西記者クラブ宛に送った「怪文書」を契機にネットで話題になり、その日のOAを最後に私がスタジオに立つことはなかった。

その怪文書の内容は「庄野数馬は就業規則違反により、キャスターを降板する」といったシンプルなものだったという。その文書の原本を最後まで見ることは叶わなかった。

(就業規則違反については後日、改めてお伝えする)

そしてテレビ大阪を2019年8月末日付で退社。9月にアイ・エヌ・ジーに入社したタイミングで、私の信頼する朝日新聞の記者の方に取材を受けることにした。

https://withnews.jp/article/f0190920002qq000000000000000W04310201qq000019835A?fbclid=IwAR2p7obwiKb3nLc9gEw308z0FcwOz8XGG7wZEKhWK-1KYaZCqNZWpg1FvFg

この記事がYahoo!ニュースのトップにも取り上げられた。

「結局、何をしたんだ」という内容面の不満やこの取材を受けることの賛否はあっただろうが、私は「今しかない」と思い実行し、後悔はしていない。

この手の記事には批判は殺到するもので、過去の経験でコメント欄は見ないようにしていたが、それを見た友人から意外な声が寄せられた。

「こういう人がやり直せるような世の中であって欲しい」など、共感の声もあったという。

有難いお言葉だ。「人は己を大きくは変えられないが、やり方を変えたら、人生をやり直すことだってできる」。この時、この言葉を私の座右の銘にすることにした。

庄辞苑「肯定的自虐論」

さて話を戻そう。初回の庄辞苑は「肯定的自虐論」。

まずは辞書を引いてみる。

・広辞苑「自虐」…自分で自分を責めさいなむこと

・広辞苑「自虐的」…自分自身を責めて苦しめるさま

・Wikipedia「自虐ネタ」

主にお笑い芸人が、漫才や漫談などの話題として使用する自分をおとしめるネタ。

当然、元々はネガティブな言葉だ。

しかし、「自虐ネタ」となると話は違う。関西人の私は坂田利夫さんの「アホの坂田ダンス」で育っている。それは楽しいものであって、決して負の感情を頂くものではない。

関西人でなくても、私の同年代の方だと日テレ系「エンタの神様」でブレイクしたヒロシさんのネタから自虐に自然と触れ合っていた人も多いだろう。

(古くはせんだみつおさんの「金ない、仕事ない、うなずきトリオ」から自虐ネタの文化は始まるらしい)

自虐ネタが支持される理由を考える。

「人の不幸は蜜の味」とも言うが、悲しいかな人は自分より幸せな人より、不幸な人に心を寄せる傾向がある(科学的にも証明されているらしい)。

これは私自身も感じたことだ。

キャスターで毎日、テレビに出ていた時より、テレビに出られなくなった直後の方が、明らかに周囲の人が優しくなった。SNSで同じようなことを投稿しても以前より「いいね!」の数が増えた。確かに勢いに乗っていた時は「謙虚さ」や「周囲への気配り」が欠けていたかもしれない。それにしても、その変化は明らかだった。

私レベルでそうなのだから、世の中ではもっと大きな動きが起きているのであろう。

ヒロシさんの自虐ネタを見て、「ほっとした」人もいるはずだ。愛らしさに近い、心地よい気持ちになり。

と、ここまで「自虐ネタ」について話してきたが、

今回、私が皆さんに提案する「自虐」の概念は「自分を貶めて、相手にこびたりして支持を買う」という意味ではない。

それに坂田利夫さんやヒロシさんのそれが気持ちがいいのは芸人さんは「プロ」だからだ。

これを素人が中途半端にマネをすると周囲に迷惑をかける。自虐のさじ加減は難しい。

とうことで、誰でも活用できる「自虐の考え」ということで本題だ。

庄辞苑「肯定的自虐論」(こうていてきじぎゃくろん)

「こいつ、身を削ってそこまでやるか?イタイやつだな」と周囲に冷たい目を向けられることに対して、それを恐れず「あることで失敗した人間が自分と同じような失敗をする人を生まない為に、自分が耐えられる範囲で己を犠牲にして、その経験を伝えること。

また「自分の失敗を話すこと」が「人の役に立つことができた」という肯定的なマインドに転換すること。

簡単に言うと、私の「自虐論」は単なる自己満足やマゾ行為ではない「肯定的自虐論」なのだ。

言いたくないことは無理にいう必要はない。しかし少々のリスクがあってもそれを話すことによって結果、救われることもある。大風呂敷を広げるようだが、ニュース バズーカーはそういう社会の雰囲気を作っていきたい。

ニュース バズーカー編集長 庄野 数馬